初めて犬を飼ったのは、30年近く前のことです。
当時小学生だった子どもたちが犬を飼いたいと言い出し、たまたま近所に生まれた子犬をもらいました。
しかし、世話をするという約束が守られずはずもなく、結局は母親であるわたしが世話することに…
朝夕の2回、暑くても寒くても雨でも散歩に出る生活は、慣れるまでは本当に大変でした。
でも、犬を飼う知識がなく狂犬病の注射しかしなかったため、5年くらいでフィラリアで死んでしまいました。
犬がいない生活に再び戻ると淋しくてたまらず、死んでしまってしばらくしてまたよく似た雑種犬を飼うことにしました。
「ペットロス恐怖症」になりました。
最初の犬が死んでしまったあと、2回目はとても丁寧に飼いました。
健診なども気をつけたため長寿で18年も生きたのですが、そのぶん、徐々に弱っていく様子もよくわかり、
「この子がいなくなったらどうなってしまうのだろう」という、「ペットロス恐怖症」になりました。
最後の1年ほどは足腰もよわって散歩も行けなくなり、庭で用を足すような生活。
いつ老衰で目覚めなくなってもおかしくない状態だったので毎朝怖くてたまりませんでした。
口を開けば犬のことで、犬といたいために外出もしないようになってしまい、家族にも心配をかけました。
いま思い出しても涙が出るくらいに愛しんだ犬でした。
ちょうど子どもたちが高校生、大学生、社会人となっていく間のことで、
赤ちゃんのようにいつまでもかわいく懐いてくれる犬がかわいくてたまらなかったのです。
一時は亡くすのが怖くて気持ちがふさぎ込んでしまい、少しウツっぽくなったのですが、
無理して切り替えることはせず、とにかく丁寧に世話をすることに集中しました。
我が子のように愛している犬
目やにが溜まれば拭いてやり、食事も好物ばかりを食べやすいように柔らかく煮て与えました。
老犬特有のニオイも強くなってきたので、温めたタオルで毎日丁寧に清拭してやりました。
同じ時期に自宅で母の介護もしていたのですが、母にするのと同じ気持ちで犬もお世話しました。
するといつのころからでしょうか、見送る気持ちになってきたのです。
わたしにできることは全部やってあげた、と、自己満足ではありますがやり尽くした達成感と言えるかもしれません。
もちろん亡くすのは淋しくて悲しくてたまらないけれど、「おつかれさま」と言ってあげられるだろうと、
そう思えるようになってきたのです。自分が先立つよりはマシとも思えるようになりました。
我が子のように愛している犬を亡くすのは恐怖ですが、悔いのないように精一杯お世話してあげてください。